12月になりまして、佃屋は冬季休業モードです。
というわけで、しばらくブログでは、いろいろと大将の頭の中で思うことや考えていることでも綴っていこうかな~と。
今回は、「隠岐の島に生まれ育つ若者たちに伝えたい事」。
先日、隠岐高校の「働く人にインタビュー」という特別授業に、講師の一人としてお声がけいただきました。
自分が隠岐の島でどんなお仕事をしていて、それまでの経緯や隠岐で働くことの意義などをテーマに、高校1、2年生の生徒たちに1時間弱のお話しと質疑応答をしてほしいとのオーダー。
未来あるティーンエイジャーに、私が伝えるべきことはなんだろう・・・と、当日まで資料を直しに直しまくりながら迎えた講演でした。
個人的には、若い人たちには、「なるべく広い世界」(文字通りに世界はもちろん、勉強や仕事も遊びも、人間関係や恋愛だってなんでも幅広く)を知って、そのうえで進む道を見つけてほしい、というのは必ず伝えたいテーマとしてありました。
ここに、学校側の思惑である、「ゆくゆくは隠岐の島に帰ってきてほしい」という要素を加えるには・・・
さんざん悩んでふと「離島経済新聞」を手に取ると、ある離島の記事が。
“「いつか帰りたい」から「島で活躍したい」に進歩してきている”
これだー!と思いました。
私にとっての隠岐の島って、「理想とする生活」と、「活躍できる場」がある島なんです。
一緒に笑ったり真剣に考えられる仲間たち、起業、自給自足、海、自転車、山・・・これらは正に私が生活に求めていた要素。
そして、「活躍できる場」。
隠岐の島町っていうのは、人口のわりに、「無い物」がとっても多いんです。
なので、そこの穴を突けば(この表現はお魚突きみたいでワクワクしますね。)、起業のチャンスがいくらでも転がっているんです。
ゲストハウスやwebのお仕事だって、他にやっている人がいなかったから始められたもの。
おかげでメディアに注目してもらって、あらゆるツールで全国に情報発信してもらえたり、講演等でいろんな都市に呼んでいただいたり、司会業という新たなフィールドに立たせていただいたり・・・。
そういう可能性が、間違いなくあるんです。気づいている人が少ないだけで・・・
ということで、少なからず故郷への想いがある子供たちには、ただいつか戻ってきたい、ではなく、ぜひ島に無い技術を都会で身に着けて、持ち帰って活躍してもらえたら良いではないか~と思っているのです。
ちなみに、私がもう一人いるのであれば、間違いなくヤキトリ屋さんをやりますねw
さあどうでしょう、お隣の海士町の「ないものはない」をもろパクりして、「ないものをある」にする町づくりというのは。